ジャイアント馬場引退記念興行でお披露目となった「NO FEAR」

話題の新刊『高山善廣評伝ノーフィアー』(ワニブックス刊)は、「プロレス界の帝王」と呼ばれ、頸髄完全損傷の大ケガとの不屈の闘いを続けている高山善廣の足跡(そくせき)にレスラー、家族、関係者の証言から迫った1冊である。 川田利明を追いかけて上がった全日本プロレスには三沢光晴、田上明、小橋建太、秋山準など刺激的な相手が待っていた。そんななかで出会ったのが大森隆男……そう、このタッグが「ノーフィアー」としてのちにマット界を跋扈することになるのをまだ誰も知らない。 川田利明を追いかけて……その先に待っていた新たな強敵 全日本プロレスへのシリーズ参戦という新境地を拓いた高山にとっての1997年は、3・1世界タッグ王座への挑戦(川田利明&田上明VSゲーリー・オブライト&高山)と、川田とのシングル戦のリマッチがハイライトとなった。 そして翌年になると全日本は「’98エキサイト・シリーズ」の主要カードを発表。最終戦2・28日本武道館の中に「小橋健太&秋山準vs高山善廣&垣原賢人」があった。年末の12月29日、キャピタル東急ホテルにおいて、旗揚げ25周年の集大成として5月1日に東京ドーム初進出を発表した全日本は、このシリーズを同大会への出場を懸けた「オーディション」と位置づけた。ところが、これに高山が反発。武道館の一戦は王道マット初体験者に対し秋山がレスリングの技術をいかんなく見せつける攻防や、チョップをディフェンスすることなく胸板で受けるシーンが沸かせ、最後は小橋の剛腕ラリアットが垣原を沈めたが、バックステージに戻ったところで怒りをあらわにした。 「マスコミの方々、言葉を間違わないでください。オーディションじゃねえんだ。俺らは闘いに来てんだよ! 馬場さんはプロモーターだからそういうことが言えるけどさ、あんたらがオーディション、オーディションって、なんじゃそりゃ! 新弟子テストみたいに書きやがって、本当に腹立ったよ。(川田については)もちろん、あの借りは返したい。でも、自分でも一区切りはついたと。その川田さんを追っかける過程の中でいろんな選手と出逢って、ほかにもやり甲斐を持てる人がいるとわかったんで、プロである以上、レスラーである以上、そういう人とどんどん闘って、自分のステータスを上げていきたい」 高山と小橋、高山と秋山。垣原と小橋、垣原と秋山──いずれも、1年前の全日本にはなかった風景である。全日本の主力タッグと真っ向からやり合い、小橋から「熱い気持ちさえ持っていれば、スタイルとかは関係ない。(初対戦の垣原に対し)なんか、おまえ(秋山)が入ってきた頃のことを思い出したよ」という言葉を引き出させた二人の進むべき道は、すでに定まったと言える。 こうしてファンの間で評価を上げていった二人は、5・1東京ドームにも出場(高山&垣原VSスティーブ・ウィリアムス&ゲーリー・オブライト)。あの「ジュッテンキュウ」から2年半、同じ巨大空間ではあるが全日本のリングとして上がることになるとは当時、想像していなかっただろう。そして東京ドーム以後は、レギュラー参戦へと切り替わった。 同じ向上心を持ったライバル・大森隆男とのタッグ結成 迎えた「’98ジャイアント・シリーズ」最終戦10・31日本武道館で、世界最強タッグ決定リーグ戦の出場チームが発表され、電光掲示板に浮かび上がったタッグの中に垣原の名はなかった。高山と「&」で結ばれているのは、大森隆男だった。 「可能性を広げるなら、全日本の選手と組むのもいいかもしれないと。組んでみたい気持ちは、前から多少あった。彼(大森)も上に抑えつけられて悔しかったんでしょう。UWFだと高田(延彦)さんなり安生(洋二)さんなりがいて、僕もここまでムチャクチャできなかったと思う。体格も同じぐらいで可能性はあるので、垣原さんやゲーリーとでは考えられない闘い方が生まれるかもしれない」(高山) 「今の全日本にいたって、やれることは決まっているから。本当に上を狙うんだったら、中じゃダメだなと。お互い上を獲るっていう、高山選手と目的が一致したということです」(大森) 出場発表から5日後には、二人で公開練習をおこなった。そこで大森は「五強(三沢光晴、川田、田上明、小橋、秋山)と言われる時代は終わりにしたい。仕切られちゃって、そういう世界はもう、うんざりです」と、高山の影響を受けてか本音らしい本音をブチまけた。会話の波長と呼吸が合っており、それが印象的だった。そのノリのまま、近くにあった全日本の道場へいって練習を続けた。 「当時、高山選手は自分たちの意思で組むって言ったと思うんですけど、僕の方のきっかけは会社からの『二人が組んだら面白いんじゃないか』という提案でした。それまで高山選手は垣原選手やゲーリーとのユニットだったし、自分と組む発想は正直なかったんです。確か移動のバスも外国人組の方で、巡業先のコインランドリーでたまたま一緒になるとお互い気まずかった。でも公開練習で並んで話すうちに、これは喋りやすいなって思ったんです。僕、同期って秋山さんしかいないじゃないですか。あとは先輩か後輩だから気を張らずに喋れる人っていなかったんです。高山選手は他団体から来たのでそういうしがらみがないし、同じ年デビューで世代も一緒だと共通の話題も多い。最初は地域の話題で盛り上がっていって……」 令和6年。そう当時を振り返る大森はその頃、道場での練習を終えると夕方からトレーニングジムへ通っていた。それを聞いて高山が興味を示したので、器材が豊富であることやインストラクターが懇切丁寧だと教えると、翌月ぐらいに入会してきたのだという。 いざリーグ戦が開幕すると「冗談抜きで、メチャクチャやった勢いで『全部勝っちゃったらいい』なんて言っていたぐらいでしたから、ここまで連敗するとは思わなかった」と言う二人だったが、これまでに味わったことのない充実感を得ているのはリング上の躍動感によって伝わってきた。 高山のジャンピング・ニーアタックと大森のニールキックのサンドイッチ攻撃、またネックブリーカーとバックドロップの合体技もこの公式戦の中で磨きをかけていった。結果的に、リーグ戦は1勝6敗=2点と8チーム中6位に終わった。されど、闘い終えたあとの二人から挫折感は微塵も感じられず、大森は「まるで3年ぐらい組み続けているような手応えがあった」と戦績に表れぬ感触を口にした。 「最強タッグが終わってからだったか、終わる直前かは記憶が定かでないんですけど、会話の中で『このまま終わらせるのはもったいないよね』となったんです。それで僕が、会社に『リーグ戦が終わったあとも高山選手と組んでやっていきたいです』と伝えました」(大森) 開幕前は「まずは優勝しか考えていない。タッグを継続するかは、リーグ戦が終わってみなければ……」と口を揃えたが、シリーズを通じて今以上のものになるとお互い確信していた。まったく違う源流とスタイルにある二人が組みながらしっくりといくのが、コンビの面白いところだ。 馬場のアドバイスに応じて全日本の道場で受け身の特訓 年が明けた1999年1月31日、馬場は体調を崩しそのまま入院。そのまま61歳で天国へと旅立った。突然の訃報を聞き、会話の中で授かった「おまえはな、UWFから来てキックや関節技をやるけど、プロレスは何をやってもいいんだぞ」のひとことを思い起こす。それが、全日本のリングでやっていく上での指針となった。 4ヵ月後、三沢が社長となり新体制となったタイミングで高山は全日本へ入団。大森とのタッグでブイブイいわせる裏で、馬場の言葉通り道場へ通って若手指南役だった志賀賢太郎の指導のもと、新人時代の丸藤正道、森嶋猛、橋誠らと王道伝統の受け身を体に染み込ませた。 「馬場さんから『道場へ練習しにいっていいんだぞ』って言われて最初は拒んだんだけど、受け身がUインターで習ったのよりバリエーションが多かったからいった方がいいなと。馬場さんの前で受け身をやったら『まあまあだな』って言われた。でも、そのあと丸藤にやらせて『何が違うかわかるか?』って言われて『うまい受け身はバン!って一発の音しかない。ヘタな人はドタドタする』って。あと、試合前の練習の時にこうやるんだとフロント・ネックロックを極められて、すげえ痛くてビックリしたのを憶えている。ジャイアント馬場ってサブミッションと無縁なイメージするけど、本当に凄かった。ビル・ロビンソンにやられた時と同じぐらいの衝撃だったからね。昔でいう懐の刀を馬場さんは持っていた」 馬場不在の中、新年を迎えた全日本は5月2日に2度目の東京ドーム大会開催を発表。「ジャイアント馬場 引退記念興行」と銘打たれた大会で、高山、大森、オブライトの3人は、背中に「NO FEAR」(ノーフィアー)と入ったTシャツを着て、スタン・ハンセン&田上&ウイリアムスと対峙。最後はハンセンのラリアットを食らって高山が敗れノーコメントだったものの、テレビ中継内では「NO FEAR」が正式なチーム名になったとアナウンスされた。恐れしらずの存在はかくして産声を上げたのである。

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