犬養毅首相が殺害された「五・一五事件」で「農村救済」を叫んだ海軍の青年将校たち

戦前の日本はどのような社会であったのか。 1925年、農村は欧州大戦後の戦争景気の反動不況により深刻な打撃を受けていた。そのような時に、農村雑誌『家の光』が創刊された。 『家の光』は「共存同栄」のもと共同主義を掲げ、体制批判を含んでいた。それは政党政治、資本主義、都市の3つに対する対抗原理であった。 その中でも『家の光』は特に都市に危機感を持っており、都市を批判し農村を擁護する。共同主義の理念の下、「近代的な農業経営の実践をとおして下層階級からの脱却を図る」とする『家の光』の記事に農民は希望を持った。 ※本記事は井上寿一『 戦前昭和の社会 1926-1945 』から抜粋・編集したものです。 五・一五事件と農村青年 『家の光』の指し示す方向に希望を抱くことができた農村社会は、その後、昭和恐慌に直面する。状況は暗転した。『家の光』の発行人、千石興太郎は自ら筆を執る。 1930(昭和5)年9月号において千石は、恐慌による農村社会の貧困化の原因を農業の「現金経済主義」に求めている。アメリカ発の世界恐慌の打撃を受けて輸出用の生糸価格が暴落した。都市向けの米以外の野菜、果実、鶏卵、肉類の供給が都市の不景気の影響を直接、受けた。現金収入に依存するのは「危険極まるやり方」だ。千石はこのように批判した。 代わりに千石は、「自給自営主義」を掲げる。「当面の対策としては一に産業組合の活動にまつべきであるが、今後永久の策としては、私が平素主張する農村の経済的勢力の確立と、自給自足主義の実行をこの機会に実現すべく努力すべきである」。千石はあらためて共同主義の立場を強調した。 これとは別の論考も同様の立場から農村救済策を提言している。「第一には都市に搾りとられる利益は産業組合の力で之を喰いとめ、第二には暮し方を整理して不必要なものに金を出すことをやめ、最後に作物の多収穫によって少しでも収入を増すように計る」(1930年7月号)。『家の光』は自己の基本的な立場が有効であることを確認した。 しかし昭和恐慌は深刻の度を深めていく。その渦中で勃発したのが五・一五事件(1932〈昭和7〉年5月15日)である。農村救済を叫ぶ海軍の青年将校たちのクーデタ事件には、農本主義者の橘孝三郎と彼の主宰する愛郷塾のメンバーが関与していた。 『家の光』は五・一五事件に対して、価値判断を下すことなく、たとえば1932(昭和7)年8月号が特集「思想混乱時代に処する青年の覚悟」を掲げているように、農村青年の軽挙を戒めている。 そのなかのある論考は、農村青年の心情を代弁していた。「何としても景気が立ち直らぬ。生活難は洪水のように襲うて来る。特に農村はその程度が烈しい。それだのにわれ等の選挙した政治家は政商と結んで私腹を肥やすことに急ぎ、われ等の生活難を救う道を講じてくれぬではないか──ここから農村青年は思想上の迷いを起す。あるものは社会主義に走る。あるものはファッショ運動に共鳴する。その何れに行かぬものも何だか判らぬ悩みに藻掻いている」。 それではどうすべきか。この論考は、政治イデオロギーや政党に頼ることなく、「独立邁進」することを農村青年に求めた。「独立邁進」とは青年が村に基盤を持ちながら、生活改善のために協力することだった。 この特集には枢密顧問官鎌田栄吉が一文を寄せている。鎌田は五・一五事件に対する農村青年の複雑な気持ちを思いやって、つぎのように述べる。「自ら巨万の財産を持ったものは、これは自分のためばかりでなく世の為にも使われなければならぬ。一身の虚栄や贅沢をほしいままにして社会の反感を呼ぶことは悪い。また政治的に勢力あるものがこれを濫用して私利を営むことも罪である」。 鎌田をとおして行き過ぎた資本主義を批判し、共同主義によって問題を克服する。このような方向を示唆する『家の光』の立場は、五・一五事件前と変わらなかった。それは政治的な漸進主義にもとづく農業改良主義だった。 農村自力更生運動 『家の光』は、五・一五事件に同情することなく、農村の恐慌克服のために具体的な運動、農村の自力更生運動を展開する。政府が1932(昭和7)年から実施した農山漁村経済更生運動の一翼を担う『家の光』の運動は、上意下達の官製国民運動だった一方で、内発的なものでもあった。 農村の自力更生運動の中核となったのは、農村産業組合である。『家の光』は産業組合拡充五ヵ年計画への総動員を呼びかける。この計画は、1933(昭和8)年1月からの5年間ですべての町村に産業組合を設けることによって、農村産業組合の組合員342万3955名を583万5176人に増員することをめざした。 『家の光』の発行人、千石興太郎はこの運動の意義を高く掲げて、つぎのように述べる。「此の難局を打開して経済更生の実を挙げんとするには、中小産者の独立自主の精神を経とし、相互協同の思想を緯としたる、強き力の発現によるより外に方策はない」(1932年11月臨時増刊号)。 農村の自力更生運動は、共同主義にもとづく五ヵ年計画という計画経済を目標に掲げているように、資本主義批判の側面があった。たとえば『家の光』が組合員に呼びかける「心得十ケ条」のうちの一つは、つぎのように念押ししている。「組合は儲けを目当ての機関ではなく、あなたの暮し向きを良くし、進んではあなたの住む町や村を良くするために生まれたものだと承知して下さい」(同号)。 この点は『家の光』の啓蒙活動が強調するところだった。「農家で汗水流してとり入れた米や繭を、銘々勝手に売って商人に買い倒され、非常に馬鹿な目にあったのは、その昔徒歩で東海道を歩いて行ったと同じように間の抜けたことです」。 『家の光』は共同主義の重要性をくりかえす。「米や繭をとる為に必要な肥料にしても、一年中の生計をたてるに必要な日用品にしても、組合員の要求を全部集めて、協同で仕入れて御覧なさい。商人から買うよりも、どんなに安く買えるか判りません」(同号)。 『家の光』は「更生行進曲」を作詞して運動を盛り上げる。「土打てば 土は響くよ/輝ける 生みの力に、/稲刈れば 稲は囁く/収穫の 尊き心。/今こそ更生、あゝ更生よ。」(同号)。他方で読者から「相互扶助美談」を募集して掲載する。その表題はたとえば「連帯者の情に夫婦は泣く」であり、あるいは「女工さんと工場主の助けあい」だった(1932年12月号)。 農村の自力更生運動は、政府の積極財政による恐慌克服政策との相乗効果によって、成果を上げていく。1931(昭和6)年に最低だった米価16.25(円/石〈約180リットル〉)は翌年20.45、1933(昭和8)年20.24、34年26.71と上昇する。繭価も1931年283.87(円/100貫〈375キログラム〉)、32年331.47、33年494.38と回復する。産業組合拡充五ヵ年計画の発足を境として、農村は恐慌からの脱却に向けて前進していく。 以上の過程は、『家の光』の発行部数が飛躍的に伸びていく過程でもあった。1930(昭和5)年にわずか4万7000部だったものが32年には約20万部、33年1月号の30万部が同年12月号では50万部へ、35年には100万部に達している。農村は『家の光』の共同主義の下に、漸進的に生活改善を進めていった。 * さらに〈 2025年は「戦後80年」かつ「昭和100年」 戦争の中に平和があり、平和の中に戦争があった——昭和史100年をひも解く「3つの要素」 〉では、「短い戦争と長い平和の100年の歴史」をどのように振り返るべきか、詳しくみていきます。 【もっと読む】2025年は「戦後80年」かつ「昭和100年」 戦争の中に平和があり、平和の中に戦争があった——昭和史100年をひも解く「3つの要素」

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