野村総合研究所の定義としては、純金融資産額が5億円以上の世帯が「超富裕層」とされているが、2021年に行われた調査の結果では9万世帯と意外に多い。にもかかわらず、その実態はあまり知られていない。 40代にして超富裕層に上り詰めた長原さん(42歳)。中学卒業後すぐに社会へ飛び出し、多岐にわたるビジネスを手掛け、一代で財を成した。 今回は、彼の成功の軌跡と、型破りな人生哲学に迫る。 ◆15歳で社会へ「みんなと授業を受けるのが苦痛」 長原さんが社会に出たのは、中学を卒業したばかりの15歳だったという。 「地元である富山の喫茶店で、朝5時からモーニング営業が終了する9時まで働いて、その後はインド料理屋のランチタイムで11時〜15時まで働いていました。 そこは日本人が僕しかいなかったので、 初心者だけど受け入れてくれたんです。夜にはバーで22時まで働いていました」 高校への入学は考えなかったのだろうか。 「実は高校に入学はしていたんです。でも、みんなに合わせて授業を受けるのが苦痛で……。中学からあまり学校に行っていなくて、 たまに行くのは彼女に会う時だけ(笑)。母は『好きなようにしたらいいよ』と言ってくれましたね」 高校は中退したものの、大学への進学を諦めたわけではなかったそうだ。というのも、 長原さんの父親は叙勲されるほどの大物官僚で、防衛大学校への進学を望んでいたのだとか。 「16歳で大検をとっても、18歳まで待たないと大学に入れないんです。だから、18歳になるまでは働こうと思いました」 この「大検を取るまで」と始めた新しい仕事で、とんでもない成果を残すことになったのだとか……。 ◆16歳で始めた携帯電話の販売「バイト先の客に営業、飛び込み営業も」 「携帯電話の販売を業務委託でするようになったんです。 当時は携帯が珍しかったから、ホームセンターに飛び込み営業をしたり、インド料理屋に来るお客さんのお店に無料で置かせてもらうように交渉したり、バーに来るお客さんに『携帯変えませんか?』と営業したりしていました」 この商売が非常にうまくいったという。しかし、その矢先に名古屋で一人暮らしを開始。せっかく築き上げた富山での地盤を、なぜ捨てたのだろうか。 「父はとても厳格な性格で、早く家を出たかったんです。父も母も公務員なので、性格がすごく合うというわけではありませんでした」 名古屋でも選んだのは、携帯電話の販売。好成績を叩き出していくうちに、徐々に業務委託の内容が変わってきたのだとか。 「代理販売の会社から 『赤字店舗をどうにかしてくれ』という依頼が舞い込むようになったんです。 店舗のポップを外に貼るようにさせたり、夜も電気をつけさせたり、 業務改善のアドバイスが中心になっていきました。 そのうちに他にも何社かから業務委託の話を受けるようになって、『 代理店から仕事をもらうより、自分で会社を作った方が儲かるのでは?』と気付いて、17歳で合資会社を作りました」 1台あたり約3万円のリターンで、1ヶ月で100台を売って、月300万円を稼ぐまでになったという。 ◆20歳で専門学校に入るも「みんなと合わせられない」 携帯電話の仕事を続けつつ、20歳になると、専門学校「資格の大原」に通い始めたそうだ。しかし、ここでも周囲に合わせることができなかったと語る。 「やっぱり、授業を一緒に受けられないんです。先生に『 じゃあ、今からみんなで問題を解きましょう』と指示されても、15分くらいで終わっちゃう。『みんなに合わせて、こんなくだらない授業を60分も受けるなんて……』って考えていました。 先生にお願いして、 テストだけ受けて、自分のペースで勉強させてもらいました。簿記1級も取れたし、大検も取れました」 1 2 3 次へ